天正11年(1583年)1月、反秀吉派の一人であった滝川一益は、秀吉方の伊勢峰城を守る岡本良勝、関城や伊勢亀山城を守る関盛信らを破った。これに対して秀吉は2月10日に北伊勢に侵攻する。2月12日には一益の居城・桑名城を攻撃したが、桑名城の堅固さと一益の抵抗にあって、三里も後退を余儀なくされた。また、秀吉が編成した別働隊が長島城や中井城に向かったが、こちらも滝川勢の抵抗にあって敗退した。しかし伊勢亀山城は、蒲生氏郷や細川忠興、山内一豊らの攻撃で遂に力尽き、3月3日に降伏した。とはいえ、伊勢戦線では反秀吉方が寡兵であるにも関わらず、優勢であった。
2月28日、勝家は前田利長を先手として出陣させ、3月9日には自らも3万の大軍を率いて出陣した。これに対して秀吉は北伊勢を蒲生氏郷に任せて近江に戻り、3月11日には柴田勢と対峙した。この対峙はしばらく続いたが、4月13日に秀吉に降伏していた柴田勝豊の家臣・山路正国が勝家方に寝返るという事件が起こった。さらに織田信孝が岐阜で再び挙兵して稲葉一鉄を攻めるなど、はじめは勝家方が優勢であった。
4月20日早朝、勝家の重臣・佐久間盛政は、秀吉が織田信孝を討伐するために美濃に赴いた隙を突いて、奇襲を実行した。この奇襲は成功し、大岩山砦の中川清秀は敗死し、岩崎山砦の高山重友は敗走した。しかしその後、盛政は勝家の命令に逆らってこの砦で対陣を続けたため、4月21日に中国大返しと同様に迅速に引き返してきた秀吉の反撃にあい、さらに前田利家らの裏切りもあって柴田軍は大敗を喫し、柴田勝家は越前に撤退した(賤ヶ岳の戦い)。
4月24日、勝家は正室・お市の方と共に自害した。秀吉はさらに加賀国と能登国も平定し、それを前田利家に与えた。5月2日(異説あり)には、信長の三男・織田信孝も自害に追い込み、やがて滝川一益も降伏した。こうして、反秀吉陣営を滅ぼした秀吉は、信長の後継者としての地位を確立したのである。
[編集] 徳川家康との対立
詳細は小牧・長久手の戦いを参照
天正12年(1584年)、信長の次男・織田信雄は、秀吉に年賀の礼に来るように命令されたことを契機に秀吉に反発し、対立するようになる。そして3月6日、信雄は秀吉に内通したとして、秀吉との戦いを懸命に諫めていた重臣の浅井長時・岡田重孝・津川義冬らを謀殺し、秀吉に事実上の宣戦布告をした。このとき、信長の盟友であった徳川家康が信雄に加担し、さらに家康に通じて長宗我部元親や紀伊雑賀党らも反秀吉として決起した。
これに対して秀吉は、調略をもって関盛信(万鉄)、九鬼嘉隆、織田信包ら伊勢の諸将を味方につけた。さらに去就を注目されていた美濃の池田恒興(勝入斎)をも、尾張と三河を恩賞にして味方につけた。そして3月13日、恒興は尾張犬山城を守る信雄方の武将・中山雄忠を攻略した。また、伊勢においても峰城を蒲生氏郷・堀秀政らが落とすなど、緒戦は秀吉方が優勢であった。
しかし家康・信雄連合軍もすぐに反撃に出た。羽黒に布陣していた森長可を破ったのである(羽黒の戦い)。さらに小牧に堅陣を敷き、秀吉と対峙した。秀吉は雑賀党に備えてはじめは大坂から動かなかったが、3月21日に大坂から出陣し、3月27日には犬山城に入った。秀吉軍も堅固な陣地を構築し両軍は長期間対峙し合うこととなり戦線は膠着した(小牧の戦い)。このとき、羽柴軍10万、織田・徳川連合軍は3万であったとされる。
そのような中、前の敗戦で雪辱に燃える森長可や池田恒興らが、秀吉の甥である三好秀次(豊臣秀次)を総大将に擁して4月6日、三河奇襲作戦を開始した。しかし、奇襲部隊であるにも関わらず、行軍は鈍足だったために家康の張った情報網に引っかかり、4月9日には徳川軍の追尾を受けて逆に奇襲され、池田恒興・池田元助親子と森長可らは戦死してしまった(長久手の戦い)。
こうして秀吉は兵力で圧倒的に優位であるにも関わらず、相次ぐ戦況悪化で自ら攻略に乗り出すことを余儀なくされた。秀吉は加賀井重望が守る加賀井城など、信雄方の美濃における諸城を次々と攻略していき、信雄・家康を尾張に封じ込めようと画策してゆく。また、信雄も家康も秀吉の財力・兵力に圧倒されていたことは事実で、11月11日、信雄は家康に無断で秀吉と単独講和した。また、家康も信雄が講和したことで秀吉と戦うための大義名分が無くなり、三河に撤退することとなった。家康は次男・於義丸を秀吉の養子(=人質)として差し出し、「羽柴秀康(のちの結城秀康)」とし講和した。戦後、秀吉は権大納言に任官されている。
その後、秀吉は天正14年(1586年)には妹・朝日姫を家康の正室として、さらに母・大政所を人質として家康のもとに送り、配下としての上洛を家康に促す。家康もこれに従い、上洛して秀吉への臣従を誓った。
[編集] 豊臣政権と紀伊・四国・越中攻略
天正11年(1583年)、石山本願寺の跡地に大坂城を築く。豊後国の大名・大友宗麟は、この城のあまりの豪華さに驚き、「三国無双の城である」と称えた。しかし城の一部に防御上の問題が有り、秀吉自身もそこを気にしていたと言われている(のちの大坂の役で真田信繁(幸村)は、防御の弱さを指摘されていた箇所に真田丸と呼ばれる砦を築き、大坂城の防御を大幅に強化し、徳川勢を大いに苦しめた)。
天正12年(1584年)には朝廷より将軍任官を勧められたが断ったとする説がある[8]。
天正13年(1585年)3月10日、秀吉は正二位・内大臣に叙位・任官された。そして3月21日には紀伊に侵攻して雑賀党を各地で破る。最終的には藤堂高虎に命じて雑賀党の首領・鈴木重意を謀殺させることで平定した(紀州征伐)。
確認できております。
国定公園が都道府県に管理を委託
Sat 13 Dec’08
国立公園(こくりつこうえん)とは、国が指定し、その保護・管理を行う自然公園である。日本においては狭義には、自然公園法に基づき、日本を代表する自然の風景地を保護し利用の促進を図る目的で、環境大臣が指定する自然公園のひとつ。国定公園が都道府県に管理を委託されるのに対し、国立公園は国(環境省)自らが管理する。日本の国立公園の面積の約60%が国有地である[1]。
目次 [非表示]
1 国立公園の歴史
2 最近の日本の国立公園の動向
3 日本の国立公園の区分
4 日本の国立公園一覧
4.1 現存する国立公園
4.2 日本統治時代の台湾にかつて存在した国立公園
5 国立公園の利用
6 国立公園と観光
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
[編集] 国立公園の歴史
世界最初の国立公園は、1872年に第18代アメリカ合衆国大統領・ユリシーズ・S・グラントによって指定されたイエローストーン国立公園である。日本では1931年に自然公園法の前身である国立公園法が施行され、1934年3月16日に瀬戸内海国立公園、雲仙国立公園、霧島国立公園の3か所が最初の指定を受けた。また戦前の台湾と朝鮮でも国立公園指定の動きがあり、実際、1937年12月27日に台湾の大屯山、新高阿里山、次高タロコの3箇所が日本の国立公園に設定された経緯がある。2007年8月末までに32箇所の国立公園が指定されてきたが、前記の台湾の3箇所の国立公園が日本の統治権放棄により消滅したために、現在は29箇所の国立公園が存在している。
[編集] 最近の日本の国立公園の動向
2007年8月1日、西表国立公園の区域を拡大し沖縄県石垣島の一部を編入し、同国立公園の名称を西表石垣国立公園に変更した。これは、1964年の富士箱根伊豆国立公園以来43年ぶりの大規模な拡張である。この拡張により、新空港問題などで有名となった白保地区等が海中公園地区に指定され、同国立公園の海中公園の面積は日本の国立公園中で最大となった。
また、同年8月30日に日光国立公園から尾瀬地域を分離し、周囲を新たに編入する形で尾瀬国立公園が新設された。これは釧路湿原国立公園以来20年ぶりの国立公園の新設である。
了解しました。
目次 [非表示]
1 国立公園の歴史
2 最近の日本の国立公園の動向
3 日本の国立公園の区分
4 日本の国立公園一覧
4.1 現存する国立公園
4.2 日本統治時代の台湾にかつて存在した国立公園
5 国立公園の利用
6 国立公園と観光
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
[編集] 国立公園の歴史
世界最初の国立公園は、1872年に第18代アメリカ合衆国大統領・ユリシーズ・S・グラントによって指定されたイエローストーン国立公園である。日本では1931年に自然公園法の前身である国立公園法が施行され、1934年3月16日に瀬戸内海国立公園、雲仙国立公園、霧島国立公園の3か所が最初の指定を受けた。また戦前の台湾と朝鮮でも国立公園指定の動きがあり、実際、1937年12月27日に台湾の大屯山、新高阿里山、次高タロコの3箇所が日本の国立公園に設定された経緯がある。2007年8月末までに32箇所の国立公園が指定されてきたが、前記の台湾の3箇所の国立公園が日本の統治権放棄により消滅したために、現在は29箇所の国立公園が存在している。
[編集] 最近の日本の国立公園の動向
2007年8月1日、西表国立公園の区域を拡大し沖縄県石垣島の一部を編入し、同国立公園の名称を西表石垣国立公園に変更した。これは、1964年の富士箱根伊豆国立公園以来43年ぶりの大規模な拡張である。この拡張により、新空港問題などで有名となった白保地区等が海中公園地区に指定され、同国立公園の海中公園の面積は日本の国立公園中で最大となった。
また、同年8月30日に日光国立公園から尾瀬地域を分離し、周囲を新たに編入する形で尾瀬国立公園が新設された。これは釧路湿原国立公園以来20年ぶりの国立公園の新設である。
了解しました。
— posted by サイト管理者 at 02:10 am
新しく都道府県を設置したりすること
Fri 21 Nov’08
第二次世界大戦中の1943年7月1日、東京都制(昭和18年 法律第89号)の施行により、東京市は東京府と合併され「東京都」となり、市制と自治権を剥奪された。東京都官制(昭和18年 勅令第504号)により「東京都長官」が長官とされ、東京都を設置した内務官僚である大達茂雄が、その第1代に任命された。
東京都制によって都議会が設置され、旧東京市内の各区にも区会が置かれたが、特に区部に対する国の統制は強力だった。
[編集] 戦後の都道府県
1947年4月、日本国憲法第92条で予定された法律として地方自治法が公布された。この中で都道府県は、以前の「中央政府の下部機関」という立場ではなく、市町村と同様の「普通地方公共団体」に位置づけられ、議会議員のみならず知事も選挙によって選ばれることになった。ただし、1947年4月に実施された最初の知事公選はまだ成立していなかった地方自治法ではなく、前述の府県制(道府県制)・東京都制改正で地方長官について公選制が導入されたことを根拠に行われた。この時点で、1都(東京都)1道(北海道)2府(京都府・大阪府)42県。その後、1972年にアメリカから返還された沖縄に沖縄県が置かれ、再び43県となっている。
都道府県は、普通地方公共団体として市町村と対等であるが、都道府県は市町村を包括する広域の地方公共団体として、広域にわたるもの、市町村に関する連絡調整に関するもの及びその規模又は性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものを処理する(地方自治法(第2条第5項))。
しかし、「都」・「道」・「府」・「県」という「単位」の定義が、地方自治法には明記されていない。
[編集] 主な組織
[編集] 執行機関
首長(都道府県知事)
補助機関
副知事 - 首長(知事)部局
会計管理者 - 出納局
地方公営企業
県営水道・企業庁・交通局…など
行政委員会
教育委員会 - 事務局(教育庁) - 高等学校・特別支援学校・図書館・博物館…など
公安委員会 - 警察本部 - 警察署・交番・駐在所…など
選挙管理委員会 - 事務局
監査委員 - 事務局
人事委員会 - 事務局
労働委員会 - 事務局
収用委員会 - 事務局
海区漁業調整委員会 - 事務局
内水面漁場管理委員会 - 事務局
[編集] 議決機関
地方議会 - 事務局
[編集] 都道府県に納める税
都道府県民税
事業税
自動車税
自動車取得税
地方消費税
不動産取得税
軽油引取税
都道府県たばこ税
ゴルフ場利用税
鉱区税
狩猟税
[編集] 廃置分合
都道府県を合併したり、新しく都道府県を設置したりすることを「廃置分合」といい、次のように分けられる。
複数の都道府県を廃止して、新たに都道府県を設置する(合体)。
一の都道府県を廃止して、その区域を他の都道府県の区域とする(編入)。
一の都道府県を廃止して、その区域に複数の都道府県を設置する(分割)。
都道府県の区域の一部を分けて、都道府県を新設する(分立)。
廃置分合については、都道府県の設置・廃止を伴わずに区域のみを変更する「境界変更」(市町村の所属都道府県の転属を含む。)と併せて、地方自治法第6条及び第6条の2に規定されている。
[編集] 廃置分合の原則的な手続き
法律による(第6条第1項)。 この法律は、憲法95条に定める「一の地方公共団体のみに適用される特別法」(地方自治特別法)であると解されるので、関係都道府県において住民投票を行い、それぞれ過半数の賛成を得なければ効力を生じない(詳細な規定は地方自治法第261条・第262条)。
作成しております。
東京都制によって都議会が設置され、旧東京市内の各区にも区会が置かれたが、特に区部に対する国の統制は強力だった。
[編集] 戦後の都道府県
1947年4月、日本国憲法第92条で予定された法律として地方自治法が公布された。この中で都道府県は、以前の「中央政府の下部機関」という立場ではなく、市町村と同様の「普通地方公共団体」に位置づけられ、議会議員のみならず知事も選挙によって選ばれることになった。ただし、1947年4月に実施された最初の知事公選はまだ成立していなかった地方自治法ではなく、前述の府県制(道府県制)・東京都制改正で地方長官について公選制が導入されたことを根拠に行われた。この時点で、1都(東京都)1道(北海道)2府(京都府・大阪府)42県。その後、1972年にアメリカから返還された沖縄に沖縄県が置かれ、再び43県となっている。
都道府県は、普通地方公共団体として市町村と対等であるが、都道府県は市町村を包括する広域の地方公共団体として、広域にわたるもの、市町村に関する連絡調整に関するもの及びその規模又は性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものを処理する(地方自治法(第2条第5項))。
しかし、「都」・「道」・「府」・「県」という「単位」の定義が、地方自治法には明記されていない。
[編集] 主な組織
[編集] 執行機関
首長(都道府県知事)
補助機関
副知事 - 首長(知事)部局
会計管理者 - 出納局
地方公営企業
県営水道・企業庁・交通局…など
行政委員会
教育委員会 - 事務局(教育庁) - 高等学校・特別支援学校・図書館・博物館…など
公安委員会 - 警察本部 - 警察署・交番・駐在所…など
選挙管理委員会 - 事務局
監査委員 - 事務局
人事委員会 - 事務局
労働委員会 - 事務局
収用委員会 - 事務局
海区漁業調整委員会 - 事務局
内水面漁場管理委員会 - 事務局
[編集] 議決機関
地方議会 - 事務局
[編集] 都道府県に納める税
都道府県民税
事業税
自動車税
自動車取得税
地方消費税
不動産取得税
軽油引取税
都道府県たばこ税
ゴルフ場利用税
鉱区税
狩猟税
[編集] 廃置分合
都道府県を合併したり、新しく都道府県を設置したりすることを「廃置分合」といい、次のように分けられる。
複数の都道府県を廃止して、新たに都道府県を設置する(合体)。
一の都道府県を廃止して、その区域を他の都道府県の区域とする(編入)。
一の都道府県を廃止して、その区域に複数の都道府県を設置する(分割)。
都道府県の区域の一部を分けて、都道府県を新設する(分立)。
廃置分合については、都道府県の設置・廃止を伴わずに区域のみを変更する「境界変更」(市町村の所属都道府県の転属を含む。)と併せて、地方自治法第6条及び第6条の2に規定されている。
[編集] 廃置分合の原則的な手続き
法律による(第6条第1項)。 この法律は、憲法95条に定める「一の地方公共団体のみに適用される特別法」(地方自治特別法)であると解されるので、関係都道府県において住民投票を行い、それぞれ過半数の賛成を得なければ効力を生じない(詳細な規定は地方自治法第261条・第262条)。
作成しております。
— posted by サイト管理者 at 06:11 pm
市街地付近と五稜郭
Thu 06 Nov’08
函館市(はこだてし)は、北海道の南部に位置する市。北海道内では旭川市に次ぐ第3の人口を有する。漁業(港湾)と観光の街。函館山からの夜景が美しく津軽海峡に浮かぶ漁り火(いさりび)がそれに花を添える。中核市に指定されている。
道内では比較的温暖な気候で温帯に属し、陸・海・空の交通の要衝として、また、道南地方の行政・経済・文化の中心として発展した。 平成16年(2004年)12月1日、戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町(いずれも当時)が函館市に編入合併した。
目次 [非表示]
1 地理
1.1 地名の由来
1.2 地勢
1.3 気候
2 歴史
2.1 沿革
3 行政
3.1 市政
3.2 警察
3.3 消防
3.4 税務
3.5 貿易
3.6 検疫
3.7 海上保安
3.8 気象観測
3.9 林野
3.10 開発
3.11 自衛隊
4 司法
5 立法
5.1 函館市議会
5.2 会派別構成
5.3 北海道議会議員
5.4 衆議院議員
6 経済
6.1 産業
6.2 金融機関
7 郵便
8 姉妹都市・提携都市
8.1 国内
8.2 海外
9 地域
9.1 人口
9.2 健康
9.2.1 保健所
9.2.2 病院
9.2.3 社会体育施設
9.2.4 その他の施設
9.3 教育
9.3.1 大学
9.3.2 短期大学
9.3.3 外国大学指定日本校
9.3.4 高等専門学校
9.3.5 高等学校
9.3.6 中学校
9.3.7 小学校
9.3.8 その他の学校
9.3.9 社会教育施設
9.4 電話
9.5 電気
9.6 水道
9.7 都市ガス
10 交通
10.1 空港
10.2 鉄道路線
10.3 バス
10.4 道路
10.5 船舶
10.6 道の駅
11 文化財
11.1 国宝
11.2 重要文化財(建造物)
11.3 重要文化財(美術工芸品)
11.4 登録有形文化財
11.5 史跡
11.6 名勝
11.7 登録記念物
11.8 重要伝統的建造物群保存地区
11.9 重要有形民俗文化財
11.10 選択無形民俗文化財
11.11 道指定有形文化財(建造物)
11.12 道指定有形文化財(美術工芸品)
11.13 道指定史跡
11.14 函館市指定文化財
12 名所・旧跡・観光スポット
12.1 北海道遺産(函館関係)
12.2 日本初
13 祭事・催事
14 函館市民憲章
15 都市宣言
16 出身有名人
16.1 学術・文芸
16.2 音楽
16.3 芸能
16.4 政界・官界・法曹界・経済界
16.5 スポーツ
16.6 その他
17 小説・アニメ・ドラマ・映画
18 その他
19 関連項目
20 外部リンク
[編集] 地理
市街地付近と五稜郭の衛星写真(NASAによる)
[編集] 地名の由来
古来、この地はウスケシ(宇須岸)と呼ばれていた。1454年(享徳3年)、南部氏との戦いに破れた津軽の豪族・安東政季を擁し、武田信広らと共に蝦夷地に渡った河野政通が、函館山の麓(現在の弥生町付近)に築いた館(「宇須岸館」とも「河野館」とも呼ばれる)が箱に似ていたため箱館と呼ばれるようになり、明治時代になって函館と改められたとされるが、諸説ある。
[編集] 地勢
北海道渡島半島南部、亀田半島に位置し、東西と南は海(津軽海峡と函館湾)に面している。市街地は、古火山である函館山とつながる陸繋島である函館半島から、七重浜方面・亀田平野方面・横津岳山麓方面・湯の川方面に展開している。
深い入り江のある、扇を開いたような地形のため、俗に「巴港」(ともえみなと)と呼ばれる天然の良港として栄えた。市章にも「一つ巴」が採用されている。
行政区域としては北海道渡島支庁に所属する。
道内では比較的温暖な気候で温帯に属し、陸・海・空の交通の要衝として、また、道南地方の行政・経済・文化の中心として発展した。 平成16年(2004年)12月1日、戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町(いずれも当時)が函館市に編入合併した。
目次 [非表示]
1 地理
1.1 地名の由来
1.2 地勢
1.3 気候
2 歴史
2.1 沿革
3 行政
3.1 市政
3.2 警察
3.3 消防
3.4 税務
3.5 貿易
3.6 検疫
3.7 海上保安
3.8 気象観測
3.9 林野
3.10 開発
3.11 自衛隊
4 司法
5 立法
5.1 函館市議会
5.2 会派別構成
5.3 北海道議会議員
5.4 衆議院議員
6 経済
6.1 産業
6.2 金融機関
7 郵便
8 姉妹都市・提携都市
8.1 国内
8.2 海外
9 地域
9.1 人口
9.2 健康
9.2.1 保健所
9.2.2 病院
9.2.3 社会体育施設
9.2.4 その他の施設
9.3 教育
9.3.1 大学
9.3.2 短期大学
9.3.3 外国大学指定日本校
9.3.4 高等専門学校
9.3.5 高等学校
9.3.6 中学校
9.3.7 小学校
9.3.8 その他の学校
9.3.9 社会教育施設
9.4 電話
9.5 電気
9.6 水道
9.7 都市ガス
10 交通
10.1 空港
10.2 鉄道路線
10.3 バス
10.4 道路
10.5 船舶
10.6 道の駅
11 文化財
11.1 国宝
11.2 重要文化財(建造物)
11.3 重要文化財(美術工芸品)
11.4 登録有形文化財
11.5 史跡
11.6 名勝
11.7 登録記念物
11.8 重要伝統的建造物群保存地区
11.9 重要有形民俗文化財
11.10 選択無形民俗文化財
11.11 道指定有形文化財(建造物)
11.12 道指定有形文化財(美術工芸品)
11.13 道指定史跡
11.14 函館市指定文化財
12 名所・旧跡・観光スポット
12.1 北海道遺産(函館関係)
12.2 日本初
13 祭事・催事
14 函館市民憲章
15 都市宣言
16 出身有名人
16.1 学術・文芸
16.2 音楽
16.3 芸能
16.4 政界・官界・法曹界・経済界
16.5 スポーツ
16.6 その他
17 小説・アニメ・ドラマ・映画
18 その他
19 関連項目
20 外部リンク
[編集] 地理
市街地付近と五稜郭の衛星写真(NASAによる)
[編集] 地名の由来
古来、この地はウスケシ(宇須岸)と呼ばれていた。1454年(享徳3年)、南部氏との戦いに破れた津軽の豪族・安東政季を擁し、武田信広らと共に蝦夷地に渡った河野政通が、函館山の麓(現在の弥生町付近)に築いた館(「宇須岸館」とも「河野館」とも呼ばれる)が箱に似ていたため箱館と呼ばれるようになり、明治時代になって函館と改められたとされるが、諸説ある。
[編集] 地勢
北海道渡島半島南部、亀田半島に位置し、東西と南は海(津軽海峡と函館湾)に面している。市街地は、古火山である函館山とつながる陸繋島である函館半島から、七重浜方面・亀田平野方面・横津岳山麓方面・湯の川方面に展開している。
深い入り江のある、扇を開いたような地形のため、俗に「巴港」(ともえみなと)と呼ばれる天然の良港として栄えた。市章にも「一つ巴」が採用されている。
行政区域としては北海道渡島支庁に所属する。
— posted by サイト管理者 at 11:16 am
進学率向上
Tue 28 Oct’08
概観
高校進学率は98.4%と、全国平均を上回るが、大学進学率が逆に10%以上低い[12]。私立学校の数が少ないため、公立学校が圧倒的な比重を占めている。
[編集] 学力向上策
岩手県自らが設置した岩手県立大学の正門大学入試センター試験の平均点が全国最下位[13]なことから、県は予算を投じて学力の向上に取り組んでいる。平成17年度からは、県費で予備校講師を招く事業を行っているが、この取り組みが主要進学校のみで行われていることに、「主要進学校の実績は堅調なのだから、進学率向上には、それ以外の高校での対策も重要」との意見もある。
なお、首都圏の大学に進学すると費用が高額に上りがちなことから、その対策として、当初は看護系単科大学となる予定だった岩手県立大学を、総合大学に路線変更したこともある。
[編集] 大学・短期大学・高専・高等学校
[編集] 大学
国公立大学
岩手大学
岩手県立大学
私立大学
盛岡大学
富士大学
岩手医科大学
北里大学(水産学部)
[編集] 短期大学
国公立大学
岩手県立大学盛岡短期大学部
岩手県立大学宮古短期大学部
私立大学
盛岡大学短期大学部
修紅短期大学
[編集] 高専・高等学校
岩手県立高等専門学校・高等学校一覧
[編集] 交通
[編集] 鉄道
東北新幹線で、首都圏や仙台、八戸と結ばれる。県内のその他の路線は下記参照。
ターミナル駅盛岡駅ターミナル駅:
盛岡駅
路線
東日本旅客鉄道
東北新幹線
東北本線
田沢湖線(秋田新幹線)
北上線
八戸線
花輪線
釜石線
岩泉線
山田線
大船渡線
三陸鉄道
北リアス線
南リアス線
IGRいわて銀河鉄道
いわて銀河鉄道線
[編集] 道路
内陸部の縦軸の交通には、東北縦貫自動車道、国道4号など、自動車を用いた高速交通インフラが整っている。その反面、内陸部と沿岸を結ぶ「横軸」の交通は、いまだ急勾配・急カーブの一般国道レベル(国道106号など)に留まっており、結果的に、距離と移動時間が、必ずしも比例しない。なお、盛岡市内は道路が入り組んでいるためか、特に朝夕の混雑が激しい。
秋田県秋田市とは、仙岩道路(国道46号バイパス)で結ばれており、トンネルや橋梁の整備で比較的スムーズな移動が可能である。 また地域高規格道路である盛岡秋田道路が整備中で橋場バイパス。
角館バイパスが一部供用中である。
高校進学率は98.4%と、全国平均を上回るが、大学進学率が逆に10%以上低い[12]。私立学校の数が少ないため、公立学校が圧倒的な比重を占めている。
[編集] 学力向上策
岩手県自らが設置した岩手県立大学の正門大学入試センター試験の平均点が全国最下位[13]なことから、県は予算を投じて学力の向上に取り組んでいる。平成17年度からは、県費で予備校講師を招く事業を行っているが、この取り組みが主要進学校のみで行われていることに、「主要進学校の実績は堅調なのだから、進学率向上には、それ以外の高校での対策も重要」との意見もある。
なお、首都圏の大学に進学すると費用が高額に上りがちなことから、その対策として、当初は看護系単科大学となる予定だった岩手県立大学を、総合大学に路線変更したこともある。
[編集] 大学・短期大学・高専・高等学校
[編集] 大学
国公立大学
岩手大学
岩手県立大学
私立大学
盛岡大学
富士大学
岩手医科大学
北里大学(水産学部)
[編集] 短期大学
国公立大学
岩手県立大学盛岡短期大学部
岩手県立大学宮古短期大学部
私立大学
盛岡大学短期大学部
修紅短期大学
[編集] 高専・高等学校
岩手県立高等専門学校・高等学校一覧
[編集] 交通
[編集] 鉄道
東北新幹線で、首都圏や仙台、八戸と結ばれる。県内のその他の路線は下記参照。
ターミナル駅盛岡駅ターミナル駅:
盛岡駅
路線
東日本旅客鉄道
東北新幹線
東北本線
田沢湖線(秋田新幹線)
北上線
八戸線
花輪線
釜石線
岩泉線
山田線
大船渡線
三陸鉄道
北リアス線
南リアス線
IGRいわて銀河鉄道
いわて銀河鉄道線
[編集] 道路
内陸部の縦軸の交通には、東北縦貫自動車道、国道4号など、自動車を用いた高速交通インフラが整っている。その反面、内陸部と沿岸を結ぶ「横軸」の交通は、いまだ急勾配・急カーブの一般国道レベル(国道106号など)に留まっており、結果的に、距離と移動時間が、必ずしも比例しない。なお、盛岡市内は道路が入り組んでいるためか、特に朝夕の混雑が激しい。
秋田県秋田市とは、仙岩道路(国道46号バイパス)で結ばれており、トンネルや橋梁の整備で比較的スムーズな移動が可能である。 また地域高規格道路である盛岡秋田道路が整備中で橋場バイパス。
角館バイパスが一部供用中である。
— posted by サイト管理者 at 05:46 pm














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